玉石混淆にゅうす

珠玉を求めて採掘中

    カテゴリ:学術・芸術・文化 > 歴史

    1: マスク着用のお願い ★ 2019/12/01(日) 16:01:35.36 ID:6I1YGhpS9
    https://www.asahi.com/sp/articles/ASMCV3VL9MCVUCLV00H.html?iref=sp_new_news_list_n
    バカ殿なんてとんでもない?今川義元「軟弱説」は濡れ衣

    バカ殿のルーツだなんて、とんでもない。今年で生誕500年の戦国武将、今川義元をご存じか。天下統一をめざす織田信長の引き立て役とは、後の語り部の都合が生んだ虚像。「海道一の弓取り」の異名通り、できる男だった。

    公家キャラは濡れ衣?

     烏帽子(えぼし)と狩衣(かりぎぬ)を身に着け、顔は白塗りにお歯黒。大河ドラマなどに登場する今川義元のいでたちは貴族そのもの。戦国大名らしからぬキャラ立ちぶりは突出している。
     室町時代に駿河と遠江(とおとうみ)(ともに静岡県)の守護を務めた今川氏の当主で、領国を三河まで広げた。さらに尾張(ともに愛知県)へ攻め込んだが、1560(永禄3)年に桶狭間で織田信長の奇襲に遭い、あえなく討ち死に。馬に乗れない軟弱な武将とみなされてきたが、かなり濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられているようだ。
    (リンク先に続きあり)

    2019/12/1 12:00 朝日新聞

    【【バカ殿のルーツ?】今川義元「軟弱説」は濡れ衣 】の続きを読む

    1: 記憶たどり。 ★ 2019/11/27(水) 05:48:35.71 ID:awQMjPL+9
    https://www.kanaloco.jp/article/entry-211336.html

    「最後の海軍大将」として知られ、太平洋戦争末期に終戦工作を進めた井上成美(1889~1975年)の
    肉声を収めたテープが30日、海上自衛隊第2術科学校(横須賀市田浦港町)のオープンスクールで再生される。
    同校によるとテープの公開は初めてで、同校は「横須賀にゆかりのある井上元大将について知り、
    歴史を受け継ぐ大切さを学んでもらえれば」と来場を呼び掛けている。

    井上は、敗戦間際の45年5月に海軍大将に就任。開戦前から日独伊三国同盟や対米戦争に反対しており、
    海軍兵学校長時代には敵性語とされた英語教育の必要性を説いた。

    戦況が悪化してからは海軍次官として、海軍大臣の米内光政らとともに終戦工作を進めた。
    戦後は同市長井の自宅で英語塾を開き、地元の子どもらに教えた。

    海自第2術科学校によると、テープは60年代後半ごろに録音されたもので、寄贈を受けた同校が保管していた。
    形式が古く同校に再生機器がなかったが、テープの存在を知った報道機関の協力により今年、再生に成功。
    初めて一般公開される。

    テープは2本で、計約1時間40分。軍艦「比叡」艦長としての経験を通じて、部下への細やかな気遣いの大切さを
    説いているほか、兵学校長時代に、「生徒が1日1回は腹の底から笑えるように」と苦心した思い出を語っている。

    オープンスクールの一環として午前と午後の2回開催する公開講座で、その一部を再生する。
    第1部「軍人としての生き様」では同校教員が旧海軍時代の井上の逸話を紹介。第2部「海軍大将の英語塾」では、
    井上が戦後開いた英語塾の元生徒の都築淑子さんが登壇し、思い出を語る。

    また、海自第1術科学校(広島県江田島市)などから集めた井上にまつわる品を、テープと共に
    第2術科学校の資料室で展示する。

    このほか、オープンスクールでは、小学生以上を対象に、同校の温水プールを使った元五輪選手の
    高桑健1等海尉による水泳教室を開催。横須賀音楽隊による演奏なども繰り広げる。

    同校は、JR横須賀線田浦駅と京急線京急田浦駅からそれぞれ徒歩15分。第1部は午前9時半から、
    第2部は午後1時半から。オープンスクールは午前9時~午後3時半。


    戦後に開いた教室で英語を教える井上成美元海軍大将の姿を収めた写真
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    【「最後の海軍大将」井上成美の肉声テープを初公開。海上自衛隊第2術科学校のオープンスクール 】の続きを読む

    1: 水星虫 ★ 2019/11/26(火) 15:02:23.52 ID:0ahaMsi99
    室町時代の清酒工房跡発見

    http://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20191126/2010005224.html
    ※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

    京都・嵐山のかつて天龍寺の境内があった場所から、室町時代の清酒造りの工房の跡とみられる
    遺構が見つかり、専門家は清酒造りが室町時代から行われていた可能性を示す貴重な発見だとしています。

    京都市右京区にあるかつて天龍寺の境内があった場所では、マンションの建設工事に伴い、
    去年5月から、民間の調査会社による発掘調査が行われました。
    調査では、酒を保管するかめの破片やかめを固定していたとみられる穴などのほか、
    木製の柱2本が見つかったということです。

    柱はそれぞれ直径が30センチと45センチ、長さが50センチと1メートルあり、
    調査会社は、升に入ったもろみを重たい石で、てこの原理を使って搾るための遺構ではないかとみています。
    これらは、およそ600年前の室町時代につくられたと推定され、
    規模や出土品から、清酒を造る工房だった可能性が高いということです。

    国内で見つかっている清酒造りの工房としては、兵庫県伊丹市の江戸時代初期の工房が
    最も古いとされていますが、正式に確認されれば、それをさらに300年近くさかのぼることになります。

    民間調査会社「国際文化財」の村尾政人主任調査員は、
    「江戸時代から本格的に始まる清酒造りが室町時代から行われていた可能性を示す貴重な発見で、
    寺が酒造りをしていた中世の時代背景を読み解く手がかりになる」と話しています。

    11/26 11:46

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    1: WATeR ★ 2019/11/24(日) 09:51:20.33 ID:22NFokx69
     【サッカラ共同】エジプト考古省は23日、首都カイロ近郊のサッカラで、ライオンの可能性がある古代エジプトの動物ミイラを発見したと発表し公開した。AP通信によると、エジプトではネコのミイラは多数見つかっているが、ライオンだとすれば異例という。

     ライオンの可能性がある動物のミイラは二つで、うち一つは生後6~8カ月の幼体と推定。70個以上のネコの像や多数のネコのミイラも見つかった。いずれも紀元前7~6世紀ごろの古代エジプト第26王朝時代のものとみられている。

     古代エジプトでネコは神々の象徴としての地位を占めていた
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191124-00000004-kyodonews-int
    https://amd.c.yimg.jp/im_siggNksVjHagKK1sHqSn1gdvtg---x585-y900-q90-exp3h-pril/amd/20191124-00000004-kyodonews-000-7-view.jpg

    【【考古学】古代ライオンのミイラか エジプトで発見 紀元前7~6世紀ごろ 】の続きを読む

    1: 豆次郎 ★ 2019/11/23(土) 06:23:43.57 ID:fcTUGyDA9
    ダイヤモンド・オンライン
    11/23(土) 6:01配信
    なぜ、あの時代に「鎖国」ができたのか?

    ● なぜ、「鎖国」ができたのか?

     次に、なぜ江戸時代の日本が「鎖国」をしたかという話をしましょう。

     みなさんが、昔、習ったのは、島原の乱(1637‐1638)を経験した徳川幕府が、
    「キリシタンを放っておくと怖いよなあと思って、鎖国をした」
     ということだったと思います。

     でも、僕が考える鎖国の理由は、

     「徳川幕府を永続させようと考えたら
     鎖国が一番合理的だったから」

     です。

     当時は石高で国を仕切り、統一していたのですが、最も石高が大きいのが、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした加賀藩の「100万石」。
     一方、徳川幕府は450万石ぐらいでした。

     徳川幕府は、大名同士の結婚や同盟を厳しく管理していました。

     江戸時代は、お城をつくったり、修理したりしただけでも改易(大名・旗本などの武士から身分を剥奪し、その所領や居城・陣屋・屋敷などを没収)されていました。

     豊臣秀吉が改易を考えつき、徳川家康が踏襲したのですが、鎖国をして貿易をしなければ、徳川幕府に勝つ大名はいない。

     ところが、各地の大名が海外と貿易を始めてしまったら、あっというまに彼らが金持ちになってしまう。たとえば、仙台の伊達氏や福岡の黒田氏は、海外との交易に興味津々でした。

     徳川幕府としてはその焦りがあったと僕は思います。

     次回は鎖国の時代に活躍した名学者・平賀源内の興味深いエピソードを紹介しようと思います。

     過去の僕の『哲学と宗教全史』全連載は「連載バックナンバー」にありますので、ぜひご覧いただき、楽しんでいただけたらと思います。

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191123-00217612-diamond-soci
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    【なぜ、あの時代に「鎖国」をしたのか? 本当にキリシタン対策だったのか? 】の続きを読む

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